怪我をするやつが悪い。

怪我をするやつが悪い。

怪我をするやつが悪い。

リングに上がった人間が、自分の身に起きた結果を誰の責任として引き受けるか。善悪ではない。

それを相手や技のせいにする人間は、プロレスを理解しているのではなく、自分に都合のいい理屈を並べているだけ。

気に入らないという感情と、闘いの是非は別だ。 その区別がつかないまま、感情に頓珍漢な理屈を後付けしたものを批評のように語る阿呆がいる。

プロレスは決して作品じゃない。 リングの上にいるのはプロレスラーであって、芸術点を競う選手じゃない。

真のプロレスラーは勝利のために闘っている。 相手を上回り、仕留め、自分が勝利者として残るためにリングに立つ。

だが、リングの周りにはこんな人間達がいる。 勝利のための闘いを外から眺め、完成度を採点、自分の好きな攻防を正解とし、気に入らない攻撃は間違いと言う。思い描いていた展開にならなければ、選手の技術や団体の欠陥として考える。

観客が審査員を気取り、自分の好みをプロレスの基準とする。 最も軽蔑すべきは、その分不相応な思い上がりで、好き嫌いに専門用語をかぶせただけの、薄っぺらいゴミ同然の言葉だ。

ファンは、リングで行われる闘いを見せてもらっている立場だ。 応援の熱量も、知識の豊富さも、選手に闘い方を論ずる理由にはならない。 認識の有無にかかわらず、その支配欲が応援のわけがない。

確かに観戦を重ねることで見えてくる違いはある。ただ、根拠と精度に乏しい指摘ばかりだ。 見たものを語ることと、見えていないことまで分かったつもりになること。それらは全く違う。

好きな選手が無様に攻められれば、攻撃した相手の配慮を問う。好きな選手が攻め立てれば、強さや厳しさとして称賛する。基準が定まっていないのに、本人はプロレスを分かったつもりで発言している。

何度も言うが、リング上の闘いは評価されるために存在しているはずがない。 ファンのために闘っているわけじゃない。 褒められなければ勝利の価値が下がり、批判を浴びれば勝者の資格すら失うような競技に、僕は参加した覚えがない。

プロレスの結果は、勝ちか負けかのみ。

内藤哲也とOZAWAの闘いを巡り、拳王が語った「受けの美学」についても、同様のことが言える。

技を受けることに美学を持つのは勝手。 ただ、その美学に他人の闘いを採点する権利などはない。

受けたうえで相手を仕留めるという考えも、自分なら何でも受けるという言葉も理解はしてあげる。

美学を貫いた先に勝利があるのなら、何の文句もない。 自分の身体と技術で成立させ、何を受けても最後に相手を仕留める。確かにそれは強さだ。

だが、自分が選んだ闘い方を、誰もが守るべき基準に置いた時点で話が変わってくる。 己の美学を成立させる責任は、己にある。

受けには戦術的な意味がある。 それを美しさの話だけで片づける説明では、闘いは語れない。

攻めさせることと主導権を渡すことは同義ではなく、目に見える攻勢を一時的に相手に譲りながら、その先の攻防を自分に有利な方向へ運ぶこともある。

相手の攻撃を受けながら、その出力や間合い、タイミングの癖を見極める。踏み込みの深さや重心移動、動作中の目線。それらの情報を拾い、何を誘い、どこでカウンターを狙うべきか判断する。

心理的にも相手に「優勢」「効いている」と思わせる。その一種の慢心が、仕掛けるタイミングを早め、攻撃を単調にし、反撃への警戒心を薄める。

ただ受け、耐えているように見えることと、実際の闘いの本質は異なる。

当然、受ければ自動的に有利になるわけではなく、ダメージは免れない。相手の消耗より先に、自分の動きが鈍るリスクは大きい。 だからこそ、何を受け、何を避け、どこで切り返すかの判断と、それを実行する技術が不可欠。

受け切れると判断して受けた攻撃。 反撃につながると判断して誘った攻撃。 避ける選択肢があっても、あえて受けた攻撃。 単に避けきれず、受けるしかなかった攻撃。

傍から似て見える攻防でも、その中身まで同じではないのに、それらの違いを無視し、「受けたから偉い」「受けなかったから間違い」と評する。その歪んだ物差しに、一切の専門性はない。

受けの価値というのは美学などではなく、勝つためにどう機能したかの一点。 勝利のための戦術でなければ、ただの言い訳の材料だ。

拳王がどう美学を語ろうと、10.25 GHCヘビー級王座戦は、内藤哲也の勝利。 現在開催中の「SUPER Jr. TAG LEAGUE 2026」にエントリーしていながら欠場を発表したエル・デスペラードは、大会開催前に敗北が決まった。

もし責任を問うなら、それは間違いなく怪我をした本人にある。 怪我をせず、勝ったやつが強い。 ここに議論の余地はない。

身体をつくることも、危険を察することも、相手の攻撃に対応することも、プロレスラーの能力に含まれる。 攻撃する力だけを強さと呼び、壊された途端に相手の配慮を求めるのは、随分と都合がいい。 でも、それが今のファンの大多数だ。

デスペラード自身、怪我は自分の責任だと語っていた。 その通り。 どれだけ同情が集まっても、彼が弱かったという結論。それだけだ。

そして𝐒𝐇𝐔𝐍 𝐒𝐊𝐘𝐖𝐀𝐋𝐊𝐄𝐑には、怪我や病気による欠場がこれまで一度もない。 身体を守ることまで強さに含まれている以上、当然、自分にも同じ基準を課している。

そんなの強いから言えるんだろう、という反論が聞こえるが、そうだよ以外に返す言葉がない。 𝐒𝐇𝐔𝐍 𝐒𝐊𝐘𝐖𝐀𝐋𝐊𝐄𝐑は、あまりにも強すぎる。

そんな𝐒𝐇𝐔𝐍 𝐒𝐊𝐘𝐖𝐀𝐋𝐊𝐄𝐑に対して、身の程をわきまえることも、礼を尽くすこともなく、おちょくるだけおちょくって、舐め腐った自己紹介と朝の挨拶をし続けておきながら、そのふざけた態度とは裏腹に負傷欠場の話を一切聞かないプロレスラーがいる。

矢野通だ。