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新聞の記事でちば先生の訃報を知りました。
SF、ファンタジーを専らとした手塚先生や石森先生達が、あまり手をつけなかった少年スポーツものというジャンルを根付かせ、その周辺の登場人物達を地に足の着いた目線で生き生きと表現し、日本漫画の地平を拡大していった稀有な作家でした。
ちば先生、ゆっくりお休みください。
2026年10月28日
大友克洋
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亡くなったちばてつやさんについて、森川ジョージさんにお話を伺いました。サムネイル写真は、森川さんの仕事場に飾られていたものです。
29日5:00まで全文お読みいただけます。
ちばてつやさんは優しく、厳しかった 漫画家森川ジョージさんが追悼:朝日新聞
digital.asahi.com/articles/A…
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22歳の頃、すでに連載は三度打ち切りとなっていた。
担当編集者は「ラストチャンスだぞ」と励ましてくれて、そのつもりでネームを書き連載会議に提出し続けて一年ほどが経った。
その日会議の結果を待ち廊下に面した曇りガラスの向こうで過ごしていると会議終わりの編集者がぞろぞろと歩いてくる。
「森川ジョージという名前を見るだけで読む気なくなるよ」とハッキリと聞こえてきた。
残念そうにネームを返却する担当と会話を交わすことなくそのまま講談社別館に行き60ページを頭から書き直した。
先ほどの声が耳から離れない。
三度失敗したらそういう評価は当然だろうと思う。
ラストチャンスと奮い立たせてきたもののそれはもう使い果たしていたことを痛感した。
悔しさよりも悲しさが上回った。
憧れのあの人のいる雑誌から離れるという選択肢を迫られていることが悲しかった。
あの人の隣に並びたいのに自分にはあまりにも力が足りなかった。
もう記憶が曖昧だがおそらくこの時僕は泣いていた。
描いても描いても受け入れてもらえずついには会議でネームすら無視される。
連載を続けたかった。
漫画が上手くなりたかった。
でもあまりにも力が足りない。
どうしていいかわからない。
ずっと頭の中であの人に問いかけていた。
『漫画上手いって一体どんな気持ちですか?』
『漫画上手いって…』
答えてくれる人はいないけれどずっと問いかけた。
もはや考えているのはネームではなくそれだけ。
考えられないからそれをそのまま書いた。
『強いって一体どんな気持ちですか?』
もう何も出てこない。
これでダメなら漫画家をやめよう。
そう決心してネームを再提出した。
そして連載が決定した。
「はじめの一歩」はあの人へ問いかけで始まって、今も問いかけながら続けている。
いつか実際に聞いてみたかったが少し仲良くなってしまって照れくさくて口に出せなかった。
機会はたくさんあったのに。
はじめの一歩は僕の漫画家としての第一歩であり、あの人との悠久の会話の始まりだった。
もう答えてくれる人はいないけれど、これからもずっと問いかけていく。
『ちばさん、漫画上手いって一体どんな気持ちですか?』
ありがとうございました。
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ちばてつや先生ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
あだち充先生画業55周年の際にイラストをご寄稿いただいたのが、まだ昨日のことのようです。70年に渡り数々の名作を届けていただき、本当にありがとうございました。
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ちばてつや先生のご冥福をお祈りいたします。私が週刊少年マガジンでデビュー(AI止ま)した当時、ちば先生もマガジン最後の連載(少年よラケットを抱け)を執筆しており、ギリギリ一緒に載った世代です。
また私が日本漫画家協会に入った頃は、やなせたかし先生がご存命で歌って踊っておられて、ちばてつや先生がバリバリの理事長で、松本零士先生や矢口高雄先生たちと理事会の後に呑みに行ったものでしたが、もう当時の理事会メンバーも大分減ってしまいました・・・。
一昨年のMANGA議連では議員会館まで来て下さって、ありがとうございました。ちば先生のご意見ご指導を忘れず、一つ一つ実行してまいります。
#赤松健の国会にっき (日曜に更新)
(304)MANGA議連の総会 編
マンガの生原稿やアニメのセル画は、海外でその美術的・歴史的な価値が認められ、国外へと流出し始めています。原画や中間生成物も含めて、日本の文化遺産として後世のために適切に保護・保管すべきものと考えます。


















