@IideExpress

新潟在住です。

新潟
Joined August 2022
1986.01.01 松阪 鳥羽発亀山行普通列車832D キハ58 574 キハ30 44 キハ35 181 キハ35 180 の4両でしたが、前2両は松阪止まりで、切り離しの間に特急「南紀」に追い抜かれました。
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当時、朝1本のみ越後線で走っていたDD51牽引の客車列車です。 磐越西線馬下発、越後線関屋行。 DD51が旧型客車9両を牽引していました。 関屋到着後は、機回しをし、回送で新潟に戻ってきていました。 1979.12 白山-新潟
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別の日の同列車の編成です。 1980.07.11 ↑関屋 DD51 15 [東新] オハフ33 2026 [新ニツ] オハ35 2214 オハフ33 2024 オハフ33 2102 オハ47 2003 オハ46 2531 オハ35 2554 オハ46 2529 オハフ61 2718
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米坂線 2022.04.30 越後金丸 GV-E400
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キハ17とキハ58…の急行「うおの」(十日町-新潟)です。 長岡から新潟まで、先頭側に魚沼線の運用を終えた2両を増結していました。増結車は急行型が入るとは限らず、このキハ17のほか、キハ35が入ることもありました。増結車も回送扱いではなく、乗車に急行料金が必要な車両でした。 1978.12 長岡
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上越新幹線は工事中。 DD51のSGも。
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1978年10月改正時の越後線時刻表です。 柏崎口は今(9往復)より多い本数でした。 いっぽう、新潟口の本数は柏崎口と大差なく、1時間半も列車が来ない時間帯もありました。列車本数は少ないものの、当時は8〜10両などの長編成の列車が多く走っていました。
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今との駅数の比較。 柏崎-吉田は、駅数変化なし(駅名変更 大河津→寺泊 地蔵堂→分水)。 吉田-新潟は、5駅増(北吉田 内野西が丘 新潟大学前 青山 上所)。
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1978年当時は、簡易委託を含めてほとんどの駅が有人駅でした。(完全な無人駅は南吉田、小木ノ城くらいか? 西中通 荒浜は? 記憶が不確かですのでご存知の方がいらっしゃればお教えください) いっぽう今、起終点以外で窓口できっぷが買えるのは、みどりの窓口が残る白山と巻、簡易委託の寺泊のみ。
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1986.12.28 上総中野 右は国鉄木原線(現いすみ鉄道)のキハ35 176+キハ30 502 左は小湊鉄道の キハ210+キハ201 キハ30 502は、越後線電化により新ニイより千キサに転属した車両です。
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電化前、夕方の越後線内野行です。先頭のキハ35。 10両の長編成での運転でした。 1984 新潟
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写真の列車ではありませんが、別の日の同じ列車の編成です。 1980.04.17 ↑内野 キハ30 503 キハ35 509 キハ35 512 キハ35 503 キハ35 510 キハ35 511 キハ47 501 キハ47 1519 キハ35 518 キハ55 246 前6両は吉田支所所属のキハ35・30、後ろ4両は新潟運転所所属の車両で、キハ47は限定運用でした。
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吉田支所はキハ35・30のみの配置で、弥彦線でおもに使われていました。
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新潟地区初の冷房化改造された115系。改造後間もない写真です。 高崎行の普通列車です。 右奥側の先頭車(クモハ115-1061)は、現在新津鉄道資料館で保存展示されています。 1983.11 新潟
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クハ115-1061 モハ114-1088 モハ115-1027 サハ115-1019 モハ114-1087 クモハ115-1061 の6連です。
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2026.09.26 会津坂下 キハE120
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白新線の普通列車。 キハ17とキハ35。 1978 東新潟-上沼垂
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1991.11.24 新潟交通 白根
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信越本線 亀田-越後石山 荷物列車 クモニ83
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1981 新潟 DD13  関屋始発の越後線貨物列車
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