
Photographer | ⭐︎撮影実績AKB48 佐津川愛美 松島庄汰 伊藤愛真 やす子(敬称略)■最新ポートフォリオ→ https://nitter.cf/t.co/C9cd86C7kt ■夏色フォトグラフィー写真集→https://nitter.cf/t.co/PxCpBWbLRs 東京 もうひとつの世界@studiobluecider
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エソラさん(@esoratetora )
の個展へ。
ずっと観たかった原画。
もう感動しまくり。
ご本人からいろいろお話を聞けて、エソラさんの頭の中を少しだけ覗けた気がした。
今後、静岡が舞台の絵も描いてくれるらしい。
超楽しみ!!
絵を描く人、写真を撮る人、全員に観てほしい。
【告知】 原画展 esoragoto
日程:2026/10/23~11/08(10/26お休み)
会場:ほぼ日 TOBICHI東京
10年以上分の原画が見られます。
笑ったり死にかけたりいろいろな人生でした。
その過程で描いた渾身の絵をあなた肉眼で目撃してほしい。
そんな想いです。
#esoragotoほぼ日
1101.com/tobichi/tokyo/exhib…
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フォトグラファーのうちだしんのすけさん(@SinPictures )が展覧会に来てくださいました。カメラや静岡談義に花が咲いて楽しかったです🍵🗻
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富士吉田で2021年10月にスタートした、富士吉田市役所とれもんらいふの共同プロジェクト #喫茶檸檬 が、5年の契約満期で終了しました。
昨日近所の皆さんに挨拶にまわり、本当に街の人みんなと作り上げたコミュニティだったんだなとあらためて感じました。
オープンがコロナ真っ只中ということもあり、全く人が来ない日が続いたりしてかなり苦労して、スタッフにも迷惑をかけましたが、さまざまな東京で活躍するクリエイターやアーティストとのハブとしては、少しは機能したのかなとおもいます。本当に大変なプロジェクトでしたが、思い出がありすぎて5年とは思えません。
1番の思い出は、映画の撮影をしたことです。
街の人、喫茶檸檬の人、みんなが協力して、炊き出しをだしてくれたり、休憩場所を作ってくれたり。本当に楽しかったです。
今、富士吉田は外国人観光客がたくさんいて、景色もあの頃とかわり、たくさんお店もできました。
お客さんとして、これからも富士吉田を訪れたいし、将来は住みたい!とか思うほど好きな街です。
今、準備している次の作品でも、また撮影できたらいいなと思ってます。
5年間ありがとうございました。
まだ次にここがどうなるか決まってないので、我こそはという方ご一報ください😆
うちだしんのすけ retweeted
20年の金髪をやめた。
30歳の時金髪にして、昨年50歳になって、ちょうど20年。
上京してから知り合った人のほとんどは、僕の黒髪を見たことがないと思う。子供たちも、生まれたときからずっと金髪の僕しか知らないし、自分自身ですら、黒髪だった頃の顔をほとんど覚えていない😆
いつからか、金髪千原は髪型ではなく、東京で生きてきた千原徹也そのものになっていたと思う。
最近までは、たぶん生涯、金髪なんだろうなとも思ってました。
それをやめた。
「なんで黒髪にしたんですか?」
会うたびに聞かれる。
嬉しい半面、ちゃんと答えれない。
反省することでもあったのか。大病でもしたのか。何か大きな心境の変化があったのか、、、最初は僕も、うまく答えられなかった。
何か一つの大きなきっかけがあったわけではないので。
仕事の質が変わってきたこと。50歳になること。残された人生をどう生きるのか。これから自分は何を作るのか。いろんなことが重なって、自分の中がずっとモヤモヤしていた。そんなとき、ふと、金髪をやめてみようかな。と思った。いろんな人に「なぜ?」と聞かれてるうちに、自分でも整理されて、少しずつ理由が追いついてきた。
⸻
今日、10月5日で、れもんらいふは15周年になりました。
会社を作った15年前も、僕は金髪でした。この15年、本当にいろんな才能と出会うことができた。
フォトグラファー、スタイリスト、ミュージシャン、俳優、モデル、ヘアメイク、イラストレーター、編集者、作家、、、、企業家、、。
雑誌をデザインした。CDジャケットを作った。広告を作った。展示をやった。パリへ行った。渋谷でイベントをやった。
振り返ると僕はずっと、カルチャーの渦の中にいて、その中で仕事も回っていたし、DJ感覚だった。
一曲をしっかり作るというより、今、この場所で何を鳴らせば面白いのかをmixして考える。
この才能と、あの才能をつなぐ。
違うジャンルを混ぜる。時代の空気を読む。フロアが盛り上がれば強い曲をかけ、少し疲れていたら優しい曲をかける。
人、デザイン、音楽、ファッション、映像、東京。
それらをミックスすることが、僕のアートディレクションで、れもんらいふだった。
金髪は、そんな自分によく似合っていた。
でも考えてみれば、人と人の間に入ることは、大人になって始めたことではなかった。
子供の頃は、人と話すことが苦手だった。
学校でも、周りに馴染めず、自分から声をかけることも、話しかけられて面白いことを返すことも出来なかった。
家には、父はいない。母が僕と弟を育てていた。
僕が、毎日スーパーに行く途中のお地蔵さんに「弟がほしいです!お願いします!」って手を合わせて、生まれてきた弟は、知的障害者だった。
母の機嫌を見る。
たまに、父と話す。
弟には、少しでも言葉を覚えてほしくて、たくさん話しかける。
誰かと誰かの間に入って、家の中のバランスが少しでも崩れないようにする。
もちろん子供の僕がそんなことを意識していたわけではないけど、
ただ、自然に、いつの間にかそうしていた。
後に僕が仕事でやるようになったことと、似ている。
人を見る。
空気を見る。
誰かと誰かをつなぐ。
その場所に足りないものを考える。
僕がDJのような感覚で、アートディレクターになったことと、まったく無関係ではないのかもしれない。
僕には長い間、自分自身の夢というものがなかった。
高校3年生のとき、家の近くの印刷工場への就職が決まった。
早く働いてお金を稼ぎ、母や弟を少しでも楽にしたかった。
でも母が、
「大学へ行きなさい」
と言った。
「徹也の人生を、お母さんのせいにされたくない」
あと、4年ぐらい頑張るから、自分のやりたいことを考えなさいって。
その4年間が、大きかった。
勉強はしてない😆
アルバイトをして、お金が貯まったら映画を見た。
洋服を買った。
レコードを買った。
雑誌を隅々まで読んだ。
その後、京都で暮らすようになってからは、自転車で街中を走った。
ただ好きだった。
京都という街全体が、僕にとっての大学だった。
母が昔、一度だけ、
「徹也は絵が上手だから、絵を描くような仕事に就いたらいいのに」
と言ったことがあった。
夢がなかった僕は、その言葉の方向へ少しずつ寄せて進んでいったのかもしれない。
そしてデザインに出会った。
⸻
2023年には、初めて長編映画作品を監督した。
『アイスクリームフィーバー』
今考えると、あの作品はデザイナー人生の集大成だったと思う。
それまで一緒に仕事をしてきた人。憧れていた人。新しく出会った才能。作ってきたカルチャーのネットワークを一つの作品に集めて、自分の持っているものを全部注ぎ込んだ。
今でも大切な作品だし、あの時点での作り方は間違っていなかったと思ってる。
でも、一つ作り終わったことで逆に、
「この次も、同じ作り方をするのか」
という問いが生まれた。
Replying to @SinPictures @kosugiyun
うちだ先生、洒落乙なお写真ありがとうございます。写真集が楽しみすぎます!
来年、女子高生時代の小杉ゆんさんをギュッと一冊にまとめた写真集を発売する予定です。
そのために現在、彼女の高校卒業までを追うように撮影しています。
「夏色フォトグラフィー番外編」のような位置付けになります。
(企画倒れにならないよう頑張ります!)
うちだしんのすけ retweeted
📻やす子の活動報告であります、はい~!📻
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締切10月6日
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@yasuko_sma
















































