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中国古代史を専攻していました。

Joined January 2011
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ゲルマン祖語を研究する言語学者が「この辺」だと言ってるバルト海沿岸で最初に出土する「銅矛」は、モンゴルの近くのアルタイ山脈で採れる「錫」で作られたもので、東西に爆発的に広がり、「夏・殷」にも伝来し同じ系統の銅矛を使ってました。それどころか弥生銅矛の起源でもあり、これは凄い発見です
当時のゲルマン祖語集団が仮にバルト海附近にいたとすると「フランク族」や「フランス」の語源とされる言葉「槍」プラングprangは、祖語集団が使っていた槍(矛)の名前に由来するはずで、同じ青銅器文化が中国に伝わり(考古学的に確定)、古代中国語「兵」prangになったと見るのも不自然では無いです
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藤堂高吉は秀吉の養子だった?
『丹羽歴代年譜』に、藤堂高吉は秀吉の養子だと書かれたと記憶してるのですが、どこで参照したか分からなくなりました。東大の史料編纂所のデータベースで見たと思ってたのですが…
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私(本人によるアクセス)の画面で見ると、作成中で放置してる記事が若干あるので、それを含めて140件あることになってます。140と表示されてました。おそらく皆様がご覧になると、公開してる数だけ正確に表示されると思うのですが。
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140件(130件?)のトップページはこちらでした。上のツイートのリンクは一番底のページを表示してます。140件なので6ページに渡ってリンクがあり、2019年からまとめ始めたので、8年分あります。 posfie.com/@fushunia
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世界で最初の長城は中国では無かったという話。紀元前2058年なので、伝説の夏王朝より古く、伝承上の存在で存在するとも言えない「五帝」の時代以前に遡ることになります。
歴史上、世界で最初の「長城」は、チグリス・ユーフラテス両河の上流に、河から河まで連結する城壁として築かれたもので、紀元前2058年にウル第3王朝のシュルギ王が構築を命じたのが最初だとのことです。バクダードの北80kmにあり、メソポタミア南部への北部からの侵攻を防ぐ役割を果たしてました。
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日出処の天子って、実は中国南朝の梁を指して「揚州の天子、日出処の大国の聖主」と西域の国から呼ばれたことに初見というか、類似の例がある言葉で、日本だから日出処の天子と言ってるんじゃ無くて、東にいる天子だからそう言ってるに過ぎないことが分かってます。
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日本書紀、かなり中国の史書や古典からのコピペが多いのでその部分の見極めが必要なんですよな…
『日本書紀』には、弩が登場する場面として、欽明天皇の詔があり、長戟(ちょうげき)と強弩で新羅が任那を滅ぼしたことを非難する文面があるが、その文面は中国正史『梁書』王僧弁伝から固有名詞を変えてコピペしたもので、当時の状況を物語るものでは無いらしい。
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『日本書紀』には、弩が登場する場面として、欽明天皇の詔があり、長戟(ちょうげき)と強弩で新羅が任那を滅ぼしたことを非難する文面があるが、その文面は中国正史『梁書』王僧弁伝から固有名詞を変えてコピペしたもので、当時の状況を物語るものでは無いらしい。
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壬申の乱で、大友皇子側の軍勢が瀬田川で弩を乱発する場面も、『後漢書』光武紀からの漢文の引用により作為されてるとのことで、これも実態があると保証される話では無いのだとか。
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唐代の中国の法律では、兵器として高性能な「弩」を盗んだ者は、二千里先に流刑とすることが定められてたらしい。
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四国の別名「伊予之二名島」について。困った時はとりあず國學院大學の地名/神名データベースを見ることにしてる。「伊予を四国の筆頭とする『古事記』の発想は、四国全土を統轄していたとされる伊予総領が設置されたと考えられる天武・持統朝のものである」なるほど。 kojiki.kokugakuin.ac.jp/chim…
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東南アジア周辺が原産だとされる「荏胡麻」(エゴマ)は、縄文時代から食べられていた食材だとされ、「胡」の字が入ってるのに、胡麻(ごま)とは違い中央アジア原産では無いとされてます。胡麻の胡は、西域渡来であることを示すはずの言葉です。
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ということは、荏胡麻を荏胡麻と呼んでるのは日本だけなのかと思って調べると、中国では「荏」(じん)とだけ呼ばれるのですが、日本や韓国から逆輸入された言葉として「荏胡麻」もあるらしく、犬を食べる時に使われる韓国料理の調味料の名前だと出てきました。
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古代メソポタミアでは最初インダス文明との交易で胡麻油を大量に輸入していたが、やがて種子を手に入れて麦作農耕と競合しない夏作物として大規模栽培し始めた。
胡麻(ごま)を指す英語「セサミ」sesameは、アッカド語のsamasammu(「油の植物」)まで語源が遡るのだとか。地中海世界でオリエントまでつながってるから、アッカド語まで遡る食材は少なくないようです。
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伊賀国阿拝(あへ)郡は、地元の読み方では「あは」だった可能性を話してきました。その解釈で思いあたるのは、志摩国で、天照大神の妹とも若い頃の姿だとされる「淡島(あはしま、あわしま)神」です。淡島とは、海に浮かぶ淡い青色の島を指してて、海の果ての死の国「常世国」の一歩手前の島を指します。
伊賀国の北部の柘植(つげ)川流域を「阿拝(あへ)郡」と呼びます。平安時代の文献『和名抄』には飛騨国に阿拝郷・名張郷があるとありますが、これは伊賀国の阿拝郡とその南にある伊賀国名張郡からの移住者に荒野を開発させ、移住元の郡名を郷名としたものだとされてます。
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「淡」(あは)とは、そんな生と死の境がはっきりしない状態を示した訳ですが、「天の阿波玉」が示唆するものを「冷気ととも枯れ果てるはずの「穀物の魂」」と解釈すると、生死の境を超えてまた還ってくる、また生えてくる意味があったと考えることができます。
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伊賀国の北部の柘植(つげ)川流域を「阿拝(あへ)郡」と呼びます。平安時代の文献『和名抄』には飛騨国に阿拝郷・名張郷があるとありますが、これは伊賀国の阿拝郡とその南にある伊賀国名張郡からの移住者に荒野を開発させ、移住元の郡名を郷名としたものだとされてます。
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記述されている、という特徴があります。それによると、阿拝郡は元々は「阿波」と呼ばれ、天照大神が穀物が長く成長する「天の阿波玉」を天上から下したから、この地を「阿波庄」と呼ぶのだとあり、「あは」と読むのが正しく、「あへ」は誤りだとされてるということです。
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普通、こうした地名伝承のようなものは、「誤りである」と記されてる「誤り」の方が、実は正しい当時の発音を伝えてて、「天照大神が」などと言って古めかしく説明して発音を改変してる方が、実は誤りなのでは?と言われるのですが、飛騨国の事例から、「あは」も捨てがたいというのが現状です。
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