🎃 ハロウィンということで《禿山の一夜》を。この曲、欧米ではハロウィンの定番クラシックのひとつらしいです。ディズニー映画『ファンタジア』でもおなじみ!指揮は私です。
🎬【演奏
Orchestra Dandelion 第5回演奏会「夏の展覧会」より、ムソルグスキー《はげ山の一夜》の演奏動画を公開しました!
🎼 指揮:藤田淳平
🎥 YouTubeでぜひご覧ください!
🔗ムソルグスキー:交響詩《はげ山の一夜》|
youtu.be/6Z5Y2Xfm3VM
#はげ山の一夜 #ダンデラ
そもそも人間同士、100%同じことを理解し、同じように感じるなんて不可能なんじゃないかと思う。
言葉や表情でどれだけ伝えようとしても、互いの気持ちを完全に理解するのは難しい。情報が増えればなおさら。
でも、「楽しいね」「悲しいね」「寒いね」「暖かいね」くらいのことを、なんとなく共有できれば十分なのかもしれない。
人との距離も近ければいいわけではない。理解できない部分も含めて相手を尊重する。それも一つの敬意だと思う。
そう考えると、音楽、とりわけ歌詞のない管弦楽は、なかなか優秀なコミュニケーションツールなんじゃないか。
何を感じたか説明する必要も、同じことを感じる必要もない。それでも何かを共有できる。
西洋化という歴史的背景はあるにせよ、外交や国際交流で音楽が使われ、「音楽は国境を越える」と言われるのも、単なる綺麗事ではないのだろう。
クラシック音楽が特別偉いという話ではなく、人間は完全に理解し合えなくても、なんとなく共感し合える。それで十分なんじゃないかなと。
下総基地にエクストラで飛来した八尋さん。天気悪くて上がれてないんじゃない?と思って連絡してみたところ、やはり...ってな感じで昨夜我が家で🍻しました😊10分の展示飛行のために前後数日かけてます。いや、機体の確保から飛べるようになるまでの数年があり、さらにその前からの訓練もありますので、私達が基地祭などで見れるフライトは本当に贅沢な雫の一滴でして、これはバイオリンの演奏とかにも通じる、芸事の世界だなと思います。9割孤独と忍耐です。
明日は上がれるんじゃないかな?ご安全にお願い🥺
いわゆる大ホールの舞台の横幅を20mとすると、端から端まで音が届くのに約0.06秒。テンポ120なら、ほぼ32分音符1個分です。
つまり、両端の奏者が同時に発音しても、互いの音はそれだけ遅れて聴こえます。舞台上で縦が揃って聴こえることと、客席で揃って聴こえることは別の話という事になります。
だからこそ、耳だけでなく視覚的に共通の時間を共有するという意味も指揮者にはあるのでしょう。
指揮者の存在意味は?と言われてもあまり出てこなそうな話😅
8月のOrchestra Dandelionの演奏会から、アルヴェーン《夏至の徹夜祭》の動画が公開されました🇸🇪
北欧の雄大な自然や、生命力にあふれた夏の清々しさを感じさせる音楽です。
いわば白夜の音楽。夕方のような明るさがいつまでも続き、夜が来ないまま、また朝になる。どこか体内時計が狂ってしまったような、不思議な時間の流れも感じます。
そんな北欧の夏至祭を指揮しました。ぜひご覧ください!
いつかの合わせですね。弦が少ないので序盤です😂ラフマニノフ作曲。交響曲第2番3楽章。最後こんな溜めたっけかなぁ
#orchestradandelion
不具合は、1つ2つなら問題なくても、いくつか重なることで一気に危険な状況になりますね。
例えば、離陸後に車輪が引っ込まなくなったとする。空気抵抗が増えて速度も高度も上がりにくくなるが、それでも飛ぶことはできる。
ところが、そこにエンジンの温度が異常に上がるトラブルが重なり、出力を下げざるを得なくなったら。高度を上げるどころか、今の高度を保つことすら難しくなるかもしれない。
それが島の空港を離陸した直後で、周囲は海。さらに雲が低く垂れ込め、視界も悪かったら……。
1つひとつは対処できる不具合でも、いくつも重なると、できることがどんどん減っていく。
航空事故の原因を、外から見える情報だけで判断できないのは、こういうことだと思います。
無事で良かったです👏
芸術家とパトロンの関係について。
1761年、作曲家ハイドンはエステルハージ侯爵家と雇用契約を結んでいます。
その契約書には、部下に横暴な態度を取らないこと、飲酒や言動に節度を持つこと、身なりを整えること、許可なく外部のために作曲しないことなどが定められています。
音楽的な能力だけでなく、日常の振る舞いや品位、君主への忠誠までが求められていたわけです。
当時の宮廷音楽家にとって、最大のタブーは君主の信頼を損ない、その権威や名誉を傷つけることだったのでしょう。
それから260年以上が経ち、王侯貴族に代わって企業や篤志家が芸術を支える時代になりました。
かつては君主への忠誠や宮廷の品位が重んじられ、現代では法令遵守や社会的信用、いわゆるコンプライアンスが重んじられています。
パトロンが変われば、タブーも変わる。
しかし、その規範に背くことで芸術活動の経済的基盤が揺らぐという構造は、驚くほど変わっていないように思います。
ハイドンの時代から現代まで、芸術家とパトロンの関係には、そんな変わらないものがあるように思います。
mnl.gov.hu/a_het_dokumentuma…
音楽で生計を立てることと、音楽を続けていくことについて。
ある音楽家の速度超過をめぐる一連の報道に触れ、いちアマチュアオーケストラの指揮者として、また、かつて音楽を仕事にしていた人間として、少し考えたことがあります。
私は以前、新卒で入ったレコード会社を退職した後、指揮者としての活動や専門学校での講師、オーケストラのインペクなど、音楽に関わる仕事だけで生計を立てていた時期がありました。
その頃の年間稼働日数は、およそ150日だったと思います。
その後、紆余曲折を経て組織に戻り、現在は会社員として仕事をしながら、指揮活動を続けています。
会社員には年間120〜130日ほどの休日があり、さらに有給休暇もあります。つまり、かつて音楽の仕事で稼働していた日数と、現在の会社員としての休日の日数は、実はそれほど変わりません。
もちろん、平日の自由度は違いますし、休日のすべてを音楽に費やせるわけでもありません。それでも、会社員になったからといって、音楽に向き合う時間が極端に減ったという実感はあまりないのです。
むしろ、音楽によって生活費を稼がなければならないという制約がなくなったことは、私にとって大きな変化だったように思います。
良い演奏を続けていくことと、音楽で生計を立てることは、必ずしも一致しません。
音楽を仕事にする以上、そこには顧客がいて、発注者がいて、あるいはスポンサーがいます。自分が実現したい音楽と、他者が対価を支払ってでも実現してほしい音楽が、常に一致するわけではありません。
それは音楽に限らず、仕事というものが持つ性質なのだと思います。
私自身、音楽の世界で継続的に収益を生み出す仕組みを作ることはできませんでした。率直に言えば、そうした起業家的な才覚も自分にはなかったのだと思います。
結果として、私は会社員という道を選びました。
そこでは、「自分が何をやりたいか」よりも、「自分は誰の役に立てるのか」「誰に必要とされる仕事ができるのか」を考えるようになりました。
一方、音楽に対しては、今も自分が信じるものを追い求めています。もちろん、それがどこまで実現できているかは、また別の話なのですが。
今回の一件を見て考えさせられたのは、演奏家としての才能と、音楽事業を経営する能力、そしてその事業を持続させる経済的基盤は、それぞれ別のものなのだということです。
芸術的にどれほど優れていても、それがそのまま経済的な自立を意味するわけではありません。企業からの協賛や支援によって成り立つ事業であれば、その関係が失われたとき、音楽活動そのものが難しくなることもあるのでしょう。
もちろん、今回の速度超過に対する責任は、それ自体として考えるべきことです。
ただ、それとは別に、音楽家が経済的に自立するとはどういうことなのか、そして、音楽を続けていくためには何が必要なのか、ということを改めて考えました。
私は、自分が選んだ人生が正しかったとは思っていません。
音楽事業を興し、雇用を生み、自らの力で活動の場を広げていこうとする人たちには、私にはできなかったことに挑戦するだけの情熱や能力があるのだと思います。そうした挑戦があるからこそ、生まれる音楽や演奏機会もあるはずです。
ただ、そうした道を選ぶことだけが、音楽家として生きていく方法でもないのでしょう。
音楽の外側に経済的な基盤を持ち、そのことで音楽の内側にある程度の自由を確保する。そんな生き方も、一つの選択肢なのだと思います。
私はたまたま、その道を歩いてきました。
その結果、今も指揮を続けることができています。これから先も続けていけるのか、どんな音楽を残せるのか、それはまだ分かりません。
ただ、音楽で生計を立てていた頃と、そうではない今とでは、音楽との向き合い方が少し変わったような気がしています。
音楽で食べていけることと、音楽を続けていけること。
似ているようで、実はずいぶん違うことなのだと思います。
そして、どちらが正しいということでもなく、それぞれに難しさがあり、それぞれに得られるものと失うものがある。
そんなことを、今回の一件をきっかけに考えました。
獨協大学へ。12月の定期演奏会に向けて頑張ってきます🎻 #DokkyoOrchestra #獨協大学管弦楽部
指揮者らしきことを始めてから25年経ちました。自分は出来上がったオケに呼ばれるところから始まったわけではなく、弾いてくれる人を探し、紹介を頼み、スカウトし、必要なら謝礼を払う。そうやって演奏の場をつくるところから始めました。今では指揮に呼んでいただく機会もありますが、自分でオケを育てていくことには、演奏会を指揮することとはまた別の難しさがあります。
依頼した演奏を引き受けてもらうことと、そのオケの先々まで一緒に背負ってもらうことは違います。一方、思いが一致しても、目指す音に演奏が追いつかないことは少なくありません。志があれば音になるわけでも、上手い人を集めれば志を共有できるわけでもありません。私なんぞが指揮者人生という言葉を使って良いかわかりませんが、もう半分は過ぎていますよね。今後の事もいろいろと考えるようになりました。
「このオーケストラをどう育てるか」を一緒に考え、一緒に動ける人と10年単位で活動を続けていきたい。人が集まって演奏会をするところからさらに踏み込んで、世代を越え同じ目線で音楽を追い求める集団にしていく事。もっといろんな人と腰を据えて話をしたほうがいいのかな。社交性はあるほうで交遊も広い方だとは思いますが、本当に友人と呼べる人は少なくて、いつも同じ人とばかり一緒にいます(笑)



















