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Yasuhiro Asai Urushi artist 漆芸作家 浅井康宏 鳥取出身 現在の制作活動京都 https://nitter.cf/t.co/dR8zjcLgfx You Tube https://nitter.cf/t.co/LAxLM4TCG6 作品集 https://nitter.cf/t.co/L64qfZx7as

日本 京都
Joined February 2011
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完成して一歩前進することができる作品ってあるようで、 この2点は 「酒器と言いながら使いにくいし、売れないだろうな」 と本気で思ったけど 「どうしても作りたいな。」って作った過去作です。 制作していると、思わぬところで前進できるけど それは、思い切って前に踏み出したところで起こりました。 蒔絵螺鈿高杯「菊華」「光華」 脚の金属は万征さんによるもの
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【生産中止が決まった砥の粉について】 この件に関して、漆芸界には大きな衝撃がありました。 まず、砥の粉というのは、漆で使う下地の材料です。 これに水を加えて粘土状にしたものに漆を加え、ペースト状にして、下地をなめらかにしてゆく、大切な素材です。 これを全国で作っていた(流通していた)のは、京都にある一社のみだったようです。 そこが年内で生産を中止するということで、業界に激震が走ったわけです。 ーーー それからの動き ーーー 僕としては、僕の活動の一部門として事業を引き継ぎたいと、本気で思いました。 漆の植栽を活動の一部として続ける仕組みを作ってきたように、 今回の砥の粉に関しても、持続させて貢献できる部分があるのではないかと模索しました。 実際、銀行を通して事業承継の相談を行い、取引のある伝手を探したり、漆屋さんに相談したりしました。 考えた結果、今の僕の体制では引き受けきれない、という結論になりました。 その後、進展があるかは分かりません。 ただ現状では、皆が在庫の入手に向かっているため、たとえ事業を借り受けたとしても、向こう二、三年はそれぞれの手元に在庫が飽和していて、売り上げが立たない状況だと思われます。 数年は、事業として回る可能性は低いと考えます。 ーーー リアルな今後 ーーー こうなってしまった以上、他の素材を探すのが賢明な道になってきました。 幸い、素材は代替のものに置き換わりやすい気がします。 成分分析を行って、それに近いものを探し、流通できる流れを確立すれば、きっと大丈夫。 陶芸の粘土などで近い成分のものを探すことは可能ではないか、と考えています。 また、海外から近い下地材料を輸入する方法もあるかなと思います。 今後も、こういった問題は起きてくると思います。 なくなってしまう前に、自分にできることを考えて動いていきたい。 そして、その業界に携わっている人で、もし後継者問題に悩んでいる人がいたら、声をかけていただきたいと思いました。 何か力になれることが、あるかもしれないので。 同じ砥の粉を使っている方、代わりの当てはありますか。
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【漆芸作家という仕事】 こんにちは、漆芸作家の浅井康宏です。 漆芸と書いて「シツゲイ」と読みます。 (「膝芸(ひざげい)」と勘違いした、というのが意外と多いんですよね。ほんとに) ウルシと言うと、もう少し馴染みがあるかもしれません。 いきなり「シツゲイサッカ」と言うと、「??」と聞き返されることが多いです。 ウルシのイメージって、重箱とかお椀などの食器を思い浮かべる方が多いと思います。 僕はウルシを素材に使った伝統技法の蒔絵(マキエ)や螺鈿(ラデン)を専門にしています。 箱物をメインに作っていて、主に伝統工芸展などの公募展に出品したり、個展で作品を発表しています。 作家の仕事とは、簡単に言ってしまうと、 特にオーダーされたものでもないものを、ゼロから勝手に作っている、とイメージしてもらえればと思います。 つまり、需要があって作っているわけではなくて、 自分の思い描いているもの、今の世界に必要だと思っている美意識を作っています。 「そこに需要があるの?」と聞かれれば、 「あります」と言い切れます。 僕が初めてウルシに出会った時の感動と同じ思いを、 きっと共有できるし、加速させてゆくことができると思っています。 最後に。 作家というと常人離れした(あまり良くない意味で)イメージがあるかもしれないけど、 わりと普通に過ごしています。 朝の9時から働いて、終わる時間は遅いけど、毎日工房で作業しています。 12時に寝て、犬と遊んだり、家族で過ごしたり、まあ普通です。 好きなことを仕事にしているので、毎日楽しく仕事に向かっていて、幸せです。 展示の情報もアップしてゆきますので、 いつかどこかで、僕の作品に出会ってもらえると嬉しいです。 蒔絵螺鈿箱「太陽」 Photo by Tadayuki Minamoto
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【漆について】 漆のことを知っていますか? よく陶芸と間違われることがあります。 同じ工芸分野ですが、陶芸と漆芸は異なります。 漆芸に用いられる漆とは、素材の名前であり、それから作られたものの呼び名です。 海外ではラッカーと訳されることが多いですが、 最近は無理に訳さずUrushiで伝えてゆこう、という流れになってきています。 ◯漆とはどんな素材なのか 東南アジアに分布する漆科の樹木の樹液を漆と言い、 その素材から作られたものを漆器と言います。 ◯どこの国で盛んなの 東南アジアの中でも、中国・韓国・日本が漆文化が盛んです。 その他、ミャンマーやベトナムにも漆の文化があります。 ◯どうやって採取するの 漆は木の樹液なので、木の幹に傷をつけて、滲み出たものを採取します。 各国それぞれ違った採取法がありますが、傷から採取するのは変わりません。 ◯一本の木からどれくらい採取できるの 日本の場合、約10年ほど育てた漆の木から、200gの漆を採取します。 「殺し掻き」という方法で、ワンシーズンで樹液を採り切り、伐採する方法が主流です。 ◯どんな表現があるの 漆を用いた表現は、実に多様です。 僕の携わる蒔絵。 塗りの美しさを見せる髹漆(きゅうしつ)。 漆面を彫り込む蔟醤(きんま)、彫漆(ちょうしつ)、沈金(ちんきん)。 貝を象嵌する螺鈿(らでん)など。 日本で現在伝わっている技法だけでも、これだけあります。 ◯一つの作品にどれくらい時間がかかるの 僕の制作だと、1作品に塗りに半年、加飾におよそ1年ほどかけて制作しています。 産地や他の作家さんによってかかる時間は違うけど、 漆の作品を作るのは工程数が多く、乾燥時間(半日)が必要なので、時間がかかります。 ◯japan=漆器は海外で通じるの これはよくいただく質問です。 china=磁器、japan=漆器、という輸出商品に対する名称が海外で広がった時期があり、 現在でもそれが通じるのか、という質問。 答えは、「通じません」。 文献を遡っても、海外美術館の展示でも、japan=漆器という訳を見つけることは難しく、 japanを漆器として認識してもらうことは難しいです。 これからは、Urushiという素材名、Maki-eという技法名を広めてゆきたいと思います。 その他、漆に関して質問があれば、コメント欄でどうぞ。 Photo by Tadayuki Minamoto
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【主観を研ぎ澄まし、わがままにものを作ること】 日本のプロダクトで、世界的ヒットがあまり出ていない気がします。 海外のプロダクトのレベルが上がっていて、日本ブランドの持つ優位性が失われてきていることと、 尖ったもの作りが行われず、平均的で使いやすいものが多い印象。 デザイナーの裁量権が小さいのか、主観的に何かを作るのが難しいのかもしれません。 客観的な目線というのは、製品を作ることにおいて良いことに感じるかもしれませんが、 実は、そうやって作られたもので感動は作りにくいと感じます。 宮崎駿監督の作品が、会議室で長い時間話し合われたストーリーではないように、 僕たちが熱狂するのは、個人の主観で作られた作品である場合が多いのです。 嫌ですよね。 僕の作品が、「最近巷では、〇〇の色が流行っていて」 「造形は〇〇がきてます」 「ではみなさん多数決で、次の作品の方向性を決めてゆきましょう」 という具合に作られていたら。 ◆主観を研ぎ澄ます ただし、単に主観でもの作りをすればいい、という話ではありません。 美しいものを作るためには、研ぎ澄まされた主観が必要です。 一体どうやって磨いてゆくのでしょうか。 僕のバイブルでもある松田権六の著書には、 ◯人から学ぶ ◯物から学ぶ ◯自然から学ぶ という三つの方法が書かれています。 まず、技法的なことは人から学び、真似をして習得してゆきます。 そして、過去の名品を見ることにより、技法的な部分、素材、歴史背景を学んでゆきます。 最後の自然とは、定義が広くて掴みどころがありませんが、 水や光、それらが発する音、そこから生まれる僕たちの感情をどのように見つめ、造形化させてゆくのか。 ヒントは膨大です。 実のところ、同じ方法で学んでも、人によって見ている部分が違います。 同じ景色を見ても、音を聞いても、味を楽しんでも、僕と同じ感情を持つ人は一人もいません。 勝手に好きな部分を切り取って、解釈しています。 例えば、学生時代なら クラスにたくさん女の子がいても、視界に入っているのは好きな〇〇さんだけだったりします。 街で見かける車も 気になる車だと、やたら注目してしまいます。 こんな自分目線で、好きなものを好きなようにしかみていないのが、僕たち人間だと思うんです。 その主観を形にする、反省点を元に改善してゆく、その繰り返しが「研ぎ澄ます」作業となります。 ◆主観を造形化する 大雑把に言えば、主観の造形化とは、好きな〇〇さんを描くことみたいなものかなと。 でも人生はもう少し複雑で、〇〇さんの二重が好きとか、声とか、 いやもっとマニアックな「くしゃみが出そうな半目になった時の二重がたまらん」みたいなこともあります。 そんな主観、誰も共感しないと思われるかもしれませんが、 熱量が高ければ、必ず共感ないし、感情の同期は行われます。 言葉にならなかった「くしゃみが出そうな半目になった時の二重がたまらん」を、形にしてみると何かが起こるかもしれない。 ちなみに僕の作品についての「たまらん」ポイントは、 金地のアール部分とか、角のハイライト、黒と金のコントラストなどです。 ◆アートでなくても主観は大切 もの作り以外でも、僕は主観はもっと大切にされるべきだと思っています。 学校とか社会って、どうしても客観とか調和が大切にされます。 僕はそれが苦手だったのと、正しいと思えなかったから、学校が嫌いでした。 ある部分ではみんなが公平に幸せになるために調和は必要だけど、 今、日本全体がちょっと息苦しくなっているように感じます。 もう少しだけでも、物や事にわがままな主観をプラスすることができれば、 生きやすく、魅力的なものが生まれやすいと思います。 Photo by Tadayuki Minamoto
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【町工場の技術】 実は僕、よく言われる町工場の技術や経験っていうものがあまり分からなかったんです。 だって、機械を使っているのだから、一様に物が仕上がるのでは?と思っていました。 しかし、自分で金属加工をしてみて思った。 「これは、相当な技術と経験が要るな」と。 今までもCNCという、ドリルがプログラム通りに動く機械を使って作品のボディを作ったりしてたんです。 ボディは木製のことが多く、機械の剛性と木材加工なら圧倒的に機械が有利で、ちょっとしたミスならザクザク削って、完成させることができることが多かったのです。 さらに漆の木地だから、下地で修正することもできる。 しかし、金属の塊はそうはいかない。 とにかく正確でないと他のパーツと接合できないし、修正も手作業では木材の何倍も大変。 さらにちょっと無理な設定で削ると、熱を帯びて接地面の接着が剥がれて物が飛んだり、刃が折れたり。 とにかく全てが完璧でないとうまくいかない。 完璧な作業のために、物を掴む構造に何時間もかけたり、ということの連続で、何日もかけた物がこれなんです。 金属加工のプロはほんとすごいとつくづく思いました。
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【「車が発明されて馬車が消えたように、機械化が進めば伝統工芸は消えるのか?」】 そう聞かれたら、こう答えます。 「馬がエンジンに変わっても、早く遠くに行きたい気持ちは消えなかった。同じように、美しさを追い求める気持ちは消えない」 工芸=手作業のイメージは強い。 しかし、工芸の機械化が進んでいるのも確かで、そのことについて尋ねられることも増えてきました。 僕には、漆を専門的に習った二人の恩師がいます。 一人は大学時代に習った林暁先生。 もう一人は蒔絵技術を習った室瀬和美先生。 先生方には技術と、漆に対する姿勢を習いました。 共通している部分と、全く違う考え方を持っていることもあり、 僕が対極的だなと思っていたのは、工芸の機械化への考え方です。 林先生は割と機械化肯定派で、 「手の先にある機械ならなんでも使っていい」という雰囲気があって、 実際に3Dでデザインした造形を機械で切削していました。 一方で、室瀬先生の工房は手工具がメインで、 「手で作るものの緊張感を第一に作る」雰囲気がありました。 まっすぐな線も定規を使わず描くので、毎日勉強になりました。 僕が考える工芸と機械の考え方は、 「完成したものが工芸の伝統に即しており、なおかつ、自分の頭と指先の延長線上にある技術なら大いに使う」 という感じです。 つまり、まっすぐに木材を加工するのに、手鋸を使っても、電動帯鋸を使っても良い、という考え方です。 仕上がってくるものは、まっすぐに加工された木なので、過程は問わないです。 そういった考え方から、木地づくりには3DとCNC加工機を使って造形することもあります。 ただ、加飾に関しては、一貫して「手作業」を愛している部分もあって、 何万パーツも必要な作品制作においても、長らく必要な部品は全て手作業で作ってきました。最近は金属のパーツに機械を導入しています。 これはきっと、室瀬先生から教わった「手で作るものの緊張感を第一に作る」感覚が、自分に合っているからです。 それと、現代最高の技術を保持したいという思いから、手技にこだわっています。 今後、技術は発達して、人間がものを作らなくても良くなってゆく時に、 僕たちが持っていた技術の代替が急速に進むかもしれません。 技術自体がなくなってゆくことも起こるでしょう。 守るものと展開すべきものをしっかりと見つめて、 活動の全てを通して美を届けることができるのなら、 きっと、大切なものは残ってゆくはずです。 人間の本質的な部分は変わらない。 心を繋げてゆくのが、伝統だと思っています。 蒔絵螺鈿飾箱「月の光」 Photo by Tadayuki Minamoto
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【勘違いは、大切にしたほうがいい】 未来へ向かってゆくために、ちょっとした勘違いは大切だと思っています。 僕が漆芸作家という、聞いたこともないような分野へ挑戦しようと決意したのは、 まぎれもなく、勘違いがあったからです。 僕は高校一年生の時に漆に出会いました。 その時の恩師、小原貢先生の言葉から、僕の壮大な勘違いがはじまりました。 当時の僕は、学校がそんなに好きではなく、楽しい授業など、そんなにない高校生活でした。 しかし、漆の授業はとても楽しくて、夢中になって制作していました。 あまりに一生懸命漆に取り組んでいるので、いつしか小原先生は 「君は作家になりなさい」と言うようになっていました。 職人ではなく作家である、というのが先生のこだわりで、 とにかく芸術表現だけでやってみよ、ということを何度も言われました。 極めつけは、 「君は学校はじまって以来の逸材だ」という褒め言葉。 僕の高校は新しくて、僕は9期生。 工芸コースは不人気で、学年で2〜3人しか選ばないので、 「はじまって以来」といっても、20人くらいの卒業生しかいなかったと思います。 だけど、僕は有頂天でした。 「ひょっとしたら道が開けるかもしれない」と勘違いをしました。 授業はもちろん、放課後は無理矢理工芸室を開けてもらって、作業に明け暮れました。 思い返してみたら、ほんの些細な勘違いから、僕の夢はスタートしています。 絵が好きだったのも、小学校に入る前から近所の友達にドラゴンボールの絵を描いてみせていたことが、自信になっていたんです。 はっきり言って、勘違いです。 世界には僕より上手い子供はたくさんいたかもしれません。きっといたはず。 ただ、僕は他の人と二つだけ違う部分があったかもしれません。 まず、勘違いし続けたこと。 そして、世界で一番蒔絵が好きな男であるという自信を、持ち続けていること。 勘違いでもいいんです。信じていたら、諦めることはないですから。 どんな挫折も困難も、勘違いし続けているから、全く感じていないのも同然です。 根拠のない勘違いだって、毎日休まずに続けていれば、 いつしか多くの人に助けられて、 愛情を持って植栽した漆の木は育っていて、 仕事を手伝ってくれる人が現れました。 高校時代に持った「世界的な芸術家になる!漆で!」という夢は、 現実との距離なんてものともせずに、勘違いだけで突っ走っているように思えます。 自分自身がこんなに幸せで、たくさんの人に幸せになってもらえるんだから、 勘違いってのも、悪くはない。 作品名「虹」 Photo by Tadayuki Minamoto
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【業界の常識を信じない】 業界の常識は、信じないほうがいい。 例えば「漆では食えない」とか「漆では金持ちになれない」。 これはもう何十回も言われてきたけど、僕はそれを1%も信じたことがないんです。 こういう業界の常識は、多いのではないでしょうか。 何よりも強烈なのは「食えないよ」という言葉で、 何らかの夢を追おうと思うと、必ず身近な人に言われる言葉ですよね。 俳優、映画、小説家、芸人、バンド。 クリエイティブな業界だったり、倍率が異常に高い分野、高度な研究分野だったり、スポーツの世界。 難易度が高ければ高いほど、「不可能だ」と言われます。 それも全くの他人ではなく、身近な人に言われることが多いので、 あたかもその夢が現実的ではないように思えてしまうのです。 夢を持つ高校生とか、希望に燃える美大生、若き芸術家。 もしこの投稿を読んでくれていたら、こういえばいいと思う。言わなくても心の中で 「それは、あなたの常識であって、私には可能なんです」 この強がりや、世間知らずに感じられるかもしれない考え方ですが、 これを言うことには、ちゃんとした意味があるのです。 例えば、「映画って食えないんですよ」という常識を持った監督が撮影した映画と、 「映画って最高に夢のあるメディアなんです」という常識を持った監督の映画、 どっちが見たいですか? 「漆って食えないんですけど、細々と作っています」という漆芸家と、 「漆は日本を代表する芸術表現です。だから国産の漆を使って、最高の作品を作ります」という作家、 どちらの作家の作品が魅力的でしょうか。 言葉は、自分の心に深く根をおろします。 常識は時に、行動を抑止する言葉となって、人生に立ちはだかります。 でも、それは自分とは関係のないことだと思うんです。 青貝棗 Photo by Tadayuki Minamoto
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【伝統工芸は死んでゆくのか】 あらゆる伝統産業が衰退しています。 漆の関係も、材料や道具が後継者不足で危機的な状況です。 作家は、大学や研究所など全国の教育機関が毎年一定数の人材を育てているため、 ある程度の人材は育ってきていると言えます。 それでも、続けてゆける人は一握りです。 特に、現代の生活から切り離された漆芸は、これからどうなってゆくのでしょうか。 実際のところ、僕は漆芸の未来は、このまま先細りしてゆくと思っています。 ただし、現状のまま進行すれば、です。 変化が起これば、現状を維持するか、飛躍することは可能だと思っています。 今まで漆を続けてきて思ったのは、 何を作っても、どんなに素晴らしい作品があっても、 反応する人はしてくれて、しない人は全くしない、ということです。 以前は「よりたくさんの人に漆の魅力を伝えなくては」と思っていましたが、 興味のない人に興味を持ってもらうことは不可能だ、ということに気がつきました。 結局、美意識や関心は、すでにその人の中にあるもので、 作家や作品は、誰かの中にある美意識を育てたり、話し合うことはできても、 そこに種をまくことはできないのです。 幼少期に美術と触れることで、美意識や関心を育むことは可能かもしれませんが、 お互い大人ならば、それは不可能だろうというのが僕の考えです。 ただ、どんな状況でも、一定の人は伝統文化や漆の美しさに関心を持ってくれました これは僕や漆がどうこうというのではなく、 その人の持っている文化や美意識の許容範囲の広さ、としか言いようがないと感じます。 つまり、僕は一定数の限られた人へしか、日本美術の中の漆を語ることができません。 でも、その一定数の母数を大きくしてゆけば、 伝統文化の先細りは食い止められるんじゃないかと思うのです。 燐光螺鈿丸箱 Photo by Tadayuki Minamoto
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【偏った執着が魅力だったりする】 ある一定の物や事に執着している人が魅力的に映ることがあります。 いわゆる答えのない問いに到達している状態っていうのはたぶん魅力なんです。 学校の授業と違って、専門分野に従事していると、 ある段階から問いに対しての答えがなくなってゆきます。 もっと言えば、問いを作り出すことが仕事になります。 僕の場合、美術に関する問いを続けていますが、 「どうやったら美しいものを作れるか」という問いから、 「そもそも、なぜ人間には美が必要なのか」という、答えの出にくい問題へ、日々挑戦しています。 今のところの僕の答えは、 美術とは信念の具現化である、という仮説のもと、作品を制作しています。 ではなぜ、偏った執着が魅力だと考えるようになったのか。 それは、ネットが便利な、現代だからこそ、顕著なのだと思います。 以前のように情報の入手が新聞やテレビ主体だと、多くの人が共通のソースから情報を得てきました。 しかし今は違います。 それぞれに最適化された情報が、インターネットを通して検索できるし、提供されている。 個人の頭の中にどれだけの情報が入っていようと、ネットワークにはかないません。 ほぼすべての知識は、ウェブ上に日々蓄えられています。 つまり、優秀さとか博識の価値が転換しているのです。 誰かに聞くより、スマートフォンで検索した方が早いのです。 しかし、専門性を突き詰めてゆくと、 ネット上に存在しない問いに行き当たります。 そんな時、オリジナルな思考を持っていて、その解決に向かう知識というのは、 人間に残された人間らしさに直結するように思います。 つまり、コンピューターに代替されない数少ない領域こそ、偏った執着でしょう。 一見、社会に役に立たないような執着でも、 少なくとも、人間的な魅力になります。 今後、さらにインターネットの最適化が進むと、偏りの意味合いが変化してくるでしょう。 日本に10人しかいない偏った執着でも、舞台を世界にすれば、市場は数倍になります。 ウィキペディアに載ってない、あなただけの執着はありますか。 蒔絵螺鈿香炉「西香」 Photo by Tadayuki Minamoto
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【プラスチックは漆のライバルじゃない】 よく言われる「漆業界の衰退は日本人の生活様式の変化である」という説。 半分は当たっていて、 半分は少し違うように思っています。 この生活様式の変化の中に、プラスチックの存在が大きく影響していると言われます。 確かに、家の食器を見渡せば、大量生産の磁器かプラスチックのお椀が多いのではないでしょうか。 外食産業を見渡せば、99パーセントこのような結果になると思います。 では、漆のライバルはプラスチックなのでしょうか。 僕は「プラスチックの台頭=漆の衰退」という考え方は、とても危険だと思います。 つまり、プラスチックをライバルと思ってはいけないのです。 もう一つ付け加えると、「一般の方に漆を普及させたい」という考え方も、ある一定の距離感を持っています。 そもそも一般とは誰のことなのか。 大多数の誰かという、よくわからない人のために何かを伝えるというのは難しい。 この幅広い「一般」に、同じだけの熱量で伝えてゆくのは不可能です。 プラスチックをライバルと考えて一般の人に漆を手に取ってもらおうとすると、 漆器にしては安いけど、プラスチックよりは高いものを作らざるを得ないからです。 おのずと、うたい文句は「手間暇がかかっている温もりのある器」となるわけです。 確かに漆器は最高の食器です。 作り手の僕は日常で漆に触れていて、他に比べるものがないほど豊かな素材だと感じています。 当然、いかに手間暇がかかるかも誰よりも分かっているつもりです。 ただし「手間暇がかかっている」というのは、売り文句にはなっていないです。 手間暇をかけているのは、作り手の勝手です。 ストーリーとしての丁寧な仕事は魅力ですが、実際の価値ではありません。 では、どうすればいいのか。 漆に残された道はただ一つ、最高の物を作り続けることだけです。 安売り競争に勝つことはできないのだから、 あとは上を見て作るしかないんです。 漆産業の衰退はつまり、理解してくれる人を増やそうとしたあまりに、 質を犠牲にして、最高の物を欲しいと思う人を置き去りにしたことが原因ではないかと思います。 残念ながら、すべての人に愛されるものなんてありません。 人を選ばないといけないのです。 プラスチックで食事をしたい人と、漆器で食事をとりたい人は違うのです。 プラスチックが良い悪いではなく、違うということを認める必要があります。 そして、分かってくれる人に全力で伝える。 手間暇がかかっているから高いのではなく、 良いものを作ろうとしているから手間暇をかけている。 そう言い換えれば、ものの魅力はより伝わりやすくなるのではないでしょうか。 金彩螺鈿高杯 Photo by Tadayuki Minamoto
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【地平線プロジェクトのInstagramがあります】 鳥取で漆の木を植えて、掻いて、お椀にして届けるところまでを、 スタッフと一緒に進めている「地平線プロジェクト」。 その日々を、スタッフがInstagram(@urushi_horizon)に記録しています。 ・鳥取の漆畑での漆掻き ・生漆濾し、錆濾しの作業 ・貝パーツ作りの作業音 ・スタッフの自己紹介 ・会報「Horizon」のお知らせ 作家としての僕の投稿とは違って、 工房の手元と、漆畑の空気がそのまま見られます。 漆が、木から器になるまで。 一緒に見守ってもらえたら嬉しいです。 リンクはリプ欄に。
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地平線プロジェクトのInstagramはこちらです。 instagram.com/urushi_horizon…
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【手軽に写真が撮れる時代だけど、手描きのスケッチが必要な理由】 僕の作風に、幾何学的な印象を持つ人は多いと思います。 ただ、長年続けていることがあって、花のスケッチを続けているんです。 意外かもしれませんが、季節の和花を描き溜めています。 さて、スケッチですが、蒔絵師だから必要な仕事ではあります。 だけど、デジカメやスマートフォンで手軽に写真を残せるのに、なぜいまだに手描きが必要なのでしょう。 まず、絵画手法として、蒔絵の場合、線描的な表現が得意な分野とも言えます。 もっと言えば、日本絵画史が2Dの得意な世界観なので、 立体物をいかに線描で表すか、そして抑揚をつけることができるか、という美意識が根底にあります。 花のような立体物を線描だけで描くというのは、とても良い訓練になります。 もう一つは、実は手で描くというのは、情報量が多いんです。 「写真の方が情報量が多そうだけど」と思われるかもしれませんが、 写真の情報量で、僕は作品を作ることができません。 なぜ手描きが良いかというと、単純に得られる情報というよりも、 描くときの情報収集が多いことが、結果的にスケッチの情報になるからだと思います。 例えば、描いていると、花びらの構造を見て、どうも腑に落ちない時があります。 そこで色々な角度から観察して、線描を進めます。 そういう過程を繰り返しながら描くので、描くと同時に、構造の理解が深まります。 一方で写真だと、情報の正確性はありますが、角度を変えて観察することができないので、 情報の性質がスケッチと違って、結果的に作品に落とし込むことができないのです。 実物のものをそのまま写して、それをそっくり転写しても、作品にならない場合があります。 たとえば、人差し指を立てて、それをまっすぐ自分の方向へ向けて見てください。 そして片目で見たとき、こちらに向いている人差し指は、ただの丸に見えませんか? 実際、自分の目で見ているので、 「ああ、これは指が自分の方向に直線的に向いているから、丸く見える」と納得できますが、 絵画的には、表現するのがかなり難しいんです。 なので、実際にただの丸に見える場合は、角度を変えて構図を作ってやります。 手描きの場合、観察を元にした情報が揃っているので、それが可能なんです。 そして、意匠化するときに、何も見ないで対象のものが描けるようになっていれば、 そこに吹く風の動きや、空間を描き出すことができます。 で、その見えていない情景こそが、表現したい本質だったり、気持ちだったりします。 めんどくさい、古いやり方ですが、スケッチは理にかなった情報収集なんです。 画像の作品は宝相華(ほうそうげ)という架空の花を描いています。これを生き生きと描くために花の構造を手に馴染ませておく必要があるんです。 Photo by Tadayuki Minamoto
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【蒔絵のここが好き】 漆に出会ってから、もうすぐ30年が経ちます。 その間、休むこともなく、毎日毎日作業をしています。 さいわい、なんとか生活もできるようになって、 スタッフに手伝ってもらいながら、やりたいことが少しずつできるようになってきました。 それでも、やりたいのにできていないことの方が、まだずっと多いので、 人生の後半には、せめて半分くらいはやったと思えるようにしたいものです。 何年も漆のことを考え続けていると、技術もついてきます。 作品はテクニカルになってゆき、構図が複雑になって、目線の動線なんかも作品に仕込んだり。 高校生のとき、漆と出会った当時の物作りとは、かけ離れた制作手法をとっています。 失敗が許されないので、それはそれでいいと思いますが、 ふと、初心を忘れているのではないかと思うのです。 僕が漆に出会って、蒔絵という技法に惹かれたのは、なぜだろう。 きっとリアルに思い出すことはできないけれど、少し回想してみると。 ◯黒と金と青の色彩が好き! 漆の黒。 蒔絵の金。 螺鈿の青。 この組み合わせが、特に衝撃でした。 今でも黒と金は、萌えポイントです。 ◯エッジのハイライトがかっこいい! 僕が立体物(箱)にこだわる理由が、このエッジのハイライトです。 漆の箱のエッジ部分に光があたると、艶やかにその光を反射します。 金地もいっそう強く輝きます。 それがすごく魅力的でした。 自分で作業していても、最後の艶上げの作業は、毎回感動します。 ◯箱を開けたときの小さな感動 箱は、蓋と身からなっています。 蓋が閉められているときは、中が見えません。 実際に手に取って、蓋を開けたときの感動は、他に言い表すことができないものがあります。 松田権六先生の鷺の箱を開けてみる機会がありました。 その時、輝く蒔絵が立ち上がりのところにほどこされている情景が現れる瞬間は、鳥肌ものでした。 この作品は、中もすごいんです。 これらの蒔絵の箱の特徴が、僕のツボにがっちりはまってしまいました。 それ以来、どうしても自分の手で蒔絵の作品を作りたい、という思いで続けてきたように思います。 今でも熱狂的に憧れます。 だけど、制作態度はもう少し進化して、その感動をさらに押し進めるような表現を蒔絵で作る、 というテーマで作品制作していると、苦しいし、迷いも生じます。 「はて、自分は何が好きだったんだろう?」と感じて初心に戻ってみると、 けっきょく、自分の好きな物は何も変わっていないような気がします。 やっぱり僕は、蒔絵がどうしても好きで、漆を続けていきたいんですよ。 Photo by Tadayuki Minamoto
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地平線プロジェクトの冊子ができました! スタッフみんなの力作をご覧いただけましたら幸いです。
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【売れ続ける作家の条件】 「売れ続ける作家の条件って、何かありますか?」 百貨店の美術画廊の担当者に、そういう質問をしてみました。 「そうですね、1つあげるとしたら、変わり続けることですね」 美術の世界で長く生き続けるのは、なかなか難しく、 間違いなく10年後には、市場の景色は大きく変わっています。 新しい作家が生まれ、ある時期売れていた作家が消えている、なんてのはよくあることです。 でも、その中でも活躍し続ける作家もいる。 消えてゆく人、生き残る人の違いは何なのか。 売り手の意見を聞いてみたくなったのです。 「変わり続けること」の後に、こう続きました。 「作家特有の印象は残しつつ、以前の個展とはやはり違うと思わせてくれる作家は、売れ続けますね」 つまり、全体を通してその人らしさがあり、なおかつ前回と違う挑戦がある、ということ。 それがないと、 「お客様からしても、これも持ってるし、これも持ってる。じゃあ、一番小さいこれをいただきます」 というように、コレクションの幅を持たせられなくなるという。 長期的に成長し続けられる作家として、どのように活動するか考えています。 「作品の印象を大切にしながら変わり続ける」というのは、まさに大切にしていることです。 例えば、村上春樹さんの小説は、毎回のように世界観が変化しているのに、 不思議と読後感は「村上春樹を読んだ」という充実感があります。 音楽でも、息の長いバンドにはそのような感覚があったりします。 美術作家にもやはり、そういうものが必要で、 ドキドキするような切れ味を、毎回更新する必要があります。 それと、作家活動を新人時代、中堅、円熟期という感じに20年スパンで区切るなら、 それぞれに移行期があります。 若手新人時代は、応援したいと思ってくれるコレクターさんと一緒に成長することができますが、 中堅作家や円熟期の作家に「応援」というのは、少し違ってきます。 ある部分で、権威や知名度が、作品流通の重要な基準になります。 人間国宝に「頑張ってね!応援してるからこの作品買うよ!」とはなりませんからね。 僕は40代になりましたが、いろいろ挑戦は続けたいと思っています。 漆芸はまだ評価を上げる要素をたくさん秘めていると思っていて、 それを最大化させるための活動を行ってゆきます。 世界に向けた活動の中にも、浅井康宏らしさを構築できて、 常に変化と前進を両立できる美意識を育てるのは可能だと思っています。 ここにとどまって安定した作品を作るのは心地いいし、安心感があるけど、 そういう制作活動に明日はないのです。 全然売れなかった時期が長いから、現状を当たり前だと思わないし、 何度でも立ち上がる気持ちがあるので、 もっと遠くに行こうと思うんですよね。
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【美術周辺の怪しい話】 美術周辺には、実に怪しい話がたくさんあります。 怪しい誘いをしてくる業者がたくさんあります。 もっとも、この世界には真面目に活動しているギャラリストや編集者が大半を占めていますが、 やっぱり怪しい業者も、少なからずいるのです。 僕を含め多くの美術家は、自分の作品を世に出したくて日夜制作に励み、 チャンスをつかみたい一心で、いろんな活動をしています。 そんなある日、一本の電話がかかってくるのです。 ◯◯「浅井先生ですか?」 浅井「はい」 ◯◯「私、◯◯の◯◯と申します。浅井先生の作品を◯◯展で拝見しまして、とても感動しましたので、お電話させていただきました」 浅井「はい、ありがとうございます」 ◯◯「つきましては、このたび先生の作品を◯◯(海外)の展覧会(見本市みたいな感じ)に特別出品していただけないかと思い、ご連絡させていただきました」 浅井「はい、詳細を教えてください」 ◯◯「それでは一度、弊社のホームページをご覧いただきまして、後日詳細をご説明させていただきたいと思います」 浅井「はい、わかりました」 ガチャ ホームページを見ると、一応会社として存在している。 海外の見本市みたいなのに出展しているようだけど、アートフェアじゃないから、こちらとしてはメリットがあまり無い。 次の日、電話がかかってくる。 ◯◯「浅井先生、昨日の◯◯です。弊社のホームページをご覧いただけましたか?」 浅井「はい」 ◯◯「いかがでしょうか。◯◯展へのご出展、ご検討いただけましたでしょうか?」 浅井「内容を教えてください」 ◯◯「はい、このたび◯◯(海外)で開かれる◯◯展に、浅井先生の作品を特別出品していただきたいと思います。 浅井先生にはブースをワンブロック使用いただきまして、作品を発表いただきたいと思います。 出品料は2日間で40万円となります。 先生ご本人が現地に行かれる場合はご自身で渡航費用をご準備いただく必要がありますが、多忙でご無理の場合は私どもで展示等も致します。いかがでしょうか?」 このような電話やメールが、たまに来るのです。 このあたりの業者は、情報が少ないところにつけ込んで、 一見チャンスに見える仕掛けで、課金を迫ってきます。実際出展できるから、詐欺ではないです。 僕は学生時代に、初めてこの手の話がやってきました。 雑誌への掲載で、価格は9万円をこちらが出費という内容。 美術専門誌、評論家の講評文など、魅力的なワードに、ちょっとドキドキしました。 よくわからないので恩師に相談したところ、 「お金払うんじゃなく、払ってでも紹介させてくださいと言われるようになるから、それまで待ちなさい」 正論でした。 作家からお金を集めて作った美術雑誌なんて、誰が買うと言うのでしょうか。 美術の世界へ与える影響力はゼロです。 海外の雑多な見本市に無理矢理ブースを出すのも同じです。 美術には美術の市場があって、そこで勝負しないと、知名度も影響力も上がっていきません。 お金を払って媒体に登場しても、美術のプロからしたらお金を払ったことはすぐわかるので、逆効果とも言えます。 僕たち美術家は、限りある人生を使って、どうにか自分が持つ美意識を形あるものにしたいと挑戦を続けています。 そして、それを伝えることが人生の目的だと思っています。 どんな小さなチャンスでも、それを信じて生きています。 その気持ちを、金儲けの道具にされたくないんです。 卒業や公募展の季節には、怪しい業者も活動していることでしょう。 きっと、夢をもって制作を続けていれば、正しい美術の扉が開かれる日が来ますよ。 美術周辺の色々な商売は無くならないでしょうが、真面目な作家が被害にあわないようにしてもらいたいと思うのです。
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