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主に映画のこと ▼YouTube 流れる都市風景 https://nitter.cf/t.co/lQwtBa9Gqr ▼ note https://nitter.cf/t.co/kMZbejrhYt

Joined August 2018
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「あかり、信じてるからな」流行語大賞候補入り。いい。これとは対照的に、例のテレビのレポーターが見た瞬間に言う「絶対うまいやつだ」がすごい苦手で(大体ただの肉汁ですよね)。それに対してこれにはサスペンスがあり、想像力も手も使い、五感もぜんぶ開いてていて最高。
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上映後のシャーネレク監督登壇によるQ&A。観客を混乱させようという意図はないこと。シークエンスの飛躍については、必ずしも時間が連続している必要はないと考えていること。切り返しの編集をしないのは、それをやると時間が巻き戻ったような感じがして、流れが感じられなくなるからだという話が印象に残った。シークエンスの飛躍と切り返しを避けることについては、それぞれ時間の扱いについての異なる考え方のようにも思えて興味深い。
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Replying to @one_quus_one
これ、むしろ逆じゃない? ストローブ=ユイレほどリハーサルを重ね、発声から手の上げ下げまで厳格に決める「システマティック」な作家もいない。そのユイレが『ジャンヌ・ディエルマン』を「しっくりこない形でシステム化されている」と批判している。 これは「どんな作品も映画以外の理由でアンタッチャブルにされるべきではない」という批評する側の態度の話ではなく、もっと根源的に、映画が何によって成立するのかという話なんじゃないですか? ユイレは、ジャガイモの皮をむくデルフィーヌ・セイリグを見て、彼女が現実には一度もそれをやったことがないのが見えてしまう、「あれでは成立しない」と言う。自分たちも俳優の身体を徹底的に反復させ、厳格に制御する。しかし、その規律はあらかじめ決められた形式に身体を従わせるためのものではない。 「あるシステムを使って別のシステムと戦うとは思わない」。その言葉の意味は、ジャガイモをむくセイリグの手まで戻って考える必要があると思う。
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【YPAM2027】『聴者を演じるということ 本論』 異なる身体性を演じることの意味を問う―「演技論」を捉え直すドキュメンタリー・パフォーマンス。 日時:2027/2/13(土)〜16(火) 会場:STスポット(横浜) 詳細とチケット購入(11/5 19時より)▶ ypam.jp/2027/program/fr49/in… 2023年から上演を重ねてきた『序論』に続く本作。観客は、ろう者の俳優、數見陽子と山田真樹が「聴者」を演じる稽古の現場に立ち会う。脚本は、ろう者でもある演出家の牧原依里が構成する。本番まで稽古は一切行わず、台本を手にした観客の前で、初見の練習から最後の通し演技までを公開する。 回数を重ねるごとにフェーズは進み、ろう者による「声監修」、聴者による「聴者監修」が加わっていく。視座が移り変わるなかで、浮かび上がるもの。演じる者と演じられる者、観る者と観られる者。その関係は舞台の上で、そして観客とのあいだで、どう変わっていくのか。「聴者」と「ろう者」の境界はどこにあるのか。そして、「演じる」とは何なのか。
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そういえばオッティンガーの『雪に埋もれて』、男同士の旅だったはずが、片方が女狐に憑依され、夫婦となり子供を宿す、性の揺らぎが面白かったな。思えば遠くへ来たもんだ。
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七里圭監督『清掃する女 亡霊』 12/5㈯〜11㈮下高井戸シネマにて上映決定👾 連日20:50〜 『#ピアニストを待ちながら』との日替わりレイトショー!本作の上映は 5.7.9.11日。 本作上映日は全回AfterTalkつき。様々な視点の問いから対話が展開されます⇩#清掃する女亡霊 shimotakaidocinema.com/sched…
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ウルリケ・オッティンガー『雪に埋もれて』、金山のカラクリ人形の動きを、ごく自然に演技と感じられるような、それまでの憑依や歌舞伎などのマイムの積み重ね、均しがあった
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ウルリケ・オッティンガー『雪に埋もれて』、土地の暮らしのドキュメンタリーの中に、別の時間を生きる演技者を放流するところなど、ツァイ・ミンリャンの行者シリーズを思い出したり
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オッティンガーって実在するんだ
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ここがリミナルスペースか、入ってみよ、カランコロンカラン。
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アンゲラ・シャーネレク『家にはいたけれど』 母はヒステリックで子供も家出するのもわかるけど、子供は子供で薄らイライラしたな。感情が読めない、芝居がかってるというか。実際、子供たちはハムレットを演じるわけで。妹を背負って森を歩くその歩みの遅さが印象に残った。おっっそくて。
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ありがとうございます。「公」と「私」のあいだの「共」こそが大事なのだという(いかにも建築家が好みそうな)タイプの話に昔から強い違和感があり、近所試論はその先を考えたいと思って書いたので、そのように読んでいただけて嬉しいです。
ゲンロン19、福尾匠さんの『近所試論』は、建築家たちが自らの建築の論拠として語りがちな“コミュニティ”とか“中間領域”とか“居場所”、さらにいえば“家”そのものの再考を迫るような論考。ほんとうは現実的にあるのは日常の反復を通して立ち現れる「近所」だけなのではと。新しい哲学の萌芽を感じる。
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ヴィータウタス・カトゥクス、マーク・チュア&ラム・リーシュエン、大河原恵にフォーカス 「CINEMA BANDWAGON vol.02」12月に開催 甫木元空、井手健介、川添彩、広田智大の作品も上映 natalie.mu/eiga/news/695103 #CINEMABANDWAGON
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ちいかわ、ひつじ探偵団、ファインディング・ドリー、人語と人外。どことどこが通じるのか、誰といるときにコミュニケーションが透明化されるのか。
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SUUMOで内見予約した物件がしっかりおとり物件のポイントを踏み抜いてて、今から憂鬱
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うさぎの「大胆な暮らし」チャンネルは作家がついてる可能性もなくはない
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某韓国映画観たら、幼少期と成人期で同一人物だと思っていたのは実は別人で、成長につれて、それぞれ面影ゼロの全く似ても似つかない、複数人の役者で演じた人物こそが正に主人公だったという、大どんでん返しで、あまりに強引すぎてむしろ感服した
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うさぎや、ちいかわが人語を書けるが喋れない(喋らない)にも関わらず、ハチワレはテレパシーのようにそれを人語として意図を汲めるのが面白い。コミュニケーションの何処かに読者には感知できない、秘匿されてる航路がある。
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