帆美 Vamvii retweeted
補陀落渡海を生き延びた「日秀上人」自ら海へ出た日秀上人は、黒潮に流され、奇跡的に琉球(現在の沖縄県金武町)へ漂着。金武観音寺を建立し、医療の知識を人々に伝え、「神人(かみんちゅ)」として崇められた。「虚空蔵求聞持法」を修めたとされる
その後、薩摩へ渡り、島津氏の庇護を受けて寺社復興に携わり、天正3年(1575年)に島津氏の戦勝祈願し、生きたまま地下の石室に籠る「土中入定」を行った。日本仏教史の中で、海と陸の2つの究極の捨身行を完遂した人物は、日秀上人だけ
帆美 Vamvii retweeted
人ときちんと向き合おうとするほど、私たちはいろいろなものを背負い込む。
嫌われないようにしよう。誤解されないようにしよう。相手を傷つけないようにしよう。ちゃんと理解しよう。自分のことも理解してもらおう。
いい関係を維持しよう。
どれも悪いことではない。
しかし、肩が凝る。
人間関係を大切にしようとするあまり、人間関係そのものが気苦労になってしまったら、少し本末転倒ではないか。
人間関係は、そんなふうに完璧に運営しなくていい。
おれは、相手への期待値を、できるだけゼロにしておくようにしている。
何かをしてくれることも期待しない。自分を理解してくれることも期待しない。
そして、自分もまた、相手を完全に理解できるとは思わない。
人間は、本質的には他人である。
だから、わからなくて当然なのである。
ただ、そのうえで言葉を尽くす。
わかってくれるはずだから黙るのではなく、わからなくて当然だから話す。
人間関係における相互理解は、おそらく、そうやって言葉を往復させることによってしか生まれない。
バイブスが合うこともある。セックスによって強く結びつくこともある。
何も言わずに同じものを見て、同じ瞬間に笑うこともある。
たしかに、気持ちいい。だが、それは相互理解というより共振である。
共振は共振として楽しめばいい。
理解が必要なら、言葉にする。
そして、言葉を尽くしてもわからないことはある。
そこは諦める。
この「諦め」があると、人間関係はずいぶん楽になる。
すべてを理解しなくていい。
すべてを理解してもらわなくていい。
すべての誤解を解かなくてもいい。
すべての人に好かれなくてもいい。
ときには、「まあ、わからないよね」で終わらせていい。
人間関係において、何もかも解決しようとしないことである。
そして、人間関係を楽しいものにしたいなら、加点方式でいられる距離を保つ。
近づきすぎると、期待が生まれる。
そして、期待は「当然」に変わる。すると、どうなるか。
いずれ、相手がしてくれたことには何も感じなくなり、してくれなかったことばかりが目につくようになる。
会いに来てくれて当然。
連絡してくれて当然。
わかってくれて当然。
気遣ってくれて当然。
人間関係は減点方式になる。
だから、好きな人ほど、少し余白を残しておく。
相手を他人のまま大切にする。
会いに来てくれたら、うれしい。
話を聞いてくれたら、ありがたい。
少しでもわかろうとしてくれたら、十分である。
一緒にいて楽しかったら、それでいい。
恋人でも、友人でも、一ついいところがあれば、それを理由につきあえばいい。
欠点を十個見つけて関係を重くするより、一つの長所を見つけて楽しんだほうがいい。
人間関係は、人生のすべてではない。
誰かとの関係を維持するために、四六時中その人の気持ちを考えたり、自分の言動を反省したり、関係の意味を分析したりする必要はない。
相手の機嫌は、相手のものだ。
相手の人生も、相手のものだ。
そして、自分の人生は、自分のものだ。
離れていく人もいるだろう。
誤解したままの人もいるだろう。
どうしてもわかり合えない人もいる。
それでいい。
人間関係には、どうにもならない部分がある。
人間関係は、偶然的で、不完全で、適当なものなのだと思う。
たまたま出会って、少し話が合って、一緒に笑えて、しばらく同じ時間を過ごす。
それだけでも、十分にいい関係である。
人間関係に必要なのは、すべてをうまくやる能力ではない。
うまくいかない部分を、そのままにしておける気楽さなのである。
人は人。自分は自分。
そのうえで、縁があるあいだは、楽しくやっていく。
エスペランサ・スポルディング「私は本当は、ジャズ・ミュージシャンじゃない。」|本人インタビュー和訳 youtu.be/jBnzy54JfKo?si=cD0n…












