Nobi Hayashi 林信行 retweeted
高市政権へ「この時代を生きる市民として黙らない」 若者有志が国会前で抗議デモ
tokyo-np.co.jp/article/52511…
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ポリティカルパンはなぜ架空の国設定にしたのか、その理由がわかるほど日本の現実そのもの。物価高、官房機密費、世襲、国保逃れ、SNS世論誘導…日本社会に根づく権力と搾取の構造を描いた社会風刺ドラマ。見ているうちに私たちの金を盗む「本当の泥棒は誰なのか」と考えさせられる。実に秀逸な脚本。
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フジテレビのドラマ『ポリティカルパン』、マジですごい。
特に第3話。永田町のリアルがこれでもかと凝縮されていて驚いた。
無所属議員の悲哀。新人議員にとって、大政党に所属することがいかに有利か。国会の委員会ポストから活動資金まで、まるで大企業と個人商店ほどの格差がある。
挙げ句の果てには、議員をアゴで使うような与党の「奥の院」の党職員まで登場する。
いや、そこまで描くか!と(笑)。
政治記者として20年近く永田町を見てきたけど、ここまで政治の内幕をリアルに描いたドラマはなかなかない。
なるほど、だから舞台を日本ではなく、架空の国「ニッポニア」にしたのか……。
脚本の野木亜紀子さん、恐るべし。
政治好きにはたまらないドラマです。
実は明後日公開予定の個人YouTube第3回でも、思わずこのドラマについて熱く語ってしまいました😅
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「ポリティカルパン観て」
この一言が日本を救うかもしれないよ。大袈裟じゃなく。日本の無関心層に政治腐敗を説くのはかなり労力がかかるし難しい。でもドラマおすすめするなら超イージー!#ポリティカルパン が日本を立て直す最後のチャンスかもしれないよおおお
tver.jp/series/srnk8nrwj7
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【今読まれています】
高市政権の「闇将軍」麻生太郎副総裁 派閥パーティで荒稼ぎ20億円《8000万愛人の店でカラオケ熱唱》
記事はこちら↓
bunshun.jp/denshiban/article…
#週刊文春
キオクシアHD中間決算 最終利益は前年同期の37倍に
news.web.nhk/newsweb/na/nd-2… #nhk_news
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"議員定数削減"で40億円ほど浮かす為に、大義なき厳冬季の1月解散総選挙で800億円かかったそうです。
40億円浮かす為に800億円使うって、おかしくないですか?
先に20年分浪費してませんか?
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Steve Jobsと4〜5個の紙くず
書籍 @ThinkSimple_jp の中のエピソードだけど、”Think different”キャンペーンを作ったケン・シーガルが、丸めた4〜5個の紙くずをいきなりスティーブ・ジョブズに「これを受け取れ」と投げつけて、1つしか受け取れないジョブズに人はそういうもので、たくさんメッセージ発信しても受け取れるのは1〜2個だ、と諭すエピソード好き。
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今日から日本橋三井ホールで始まる @alter_tokyo
人気の体験はその場で世界に一つだけ自分専用の異形のペットボトルを作って伊藤園の緑茶が飲めるサービス。1つ作るのに7〜8分かかるので体験できる人数は限られています。空いてるタイミングを狙って並びましょう! #alter_tokyo
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Under 30の作品、「在りもしない幹」 at #日比谷okuroji 良い。圧倒的存在感。
漆作品や向かいのバランスボールの展示も #DESIGNARTTOKYO2026
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オカマルト、明日(10/31)もオープン!
おそらくそれゆえに、わたしは常に意味を探し求めてきました。言われたことと言われなかったことのあいだ、行間に宿る好機を。人が言おうとしていること、言えばよかったと思うこと、そして口にしなければよかったと願うことのなかに。(受賞スピーチより)
#AI時代だからこそ触れておきたいことば
俳優 #ケイト・ブランシェット (Cate Blanchett)、
昨日の #日本芸術協会 でのスピーチ:
疑うことが創造の起点
[司会] ありがとうございました。続きまして、演劇・映像部門のケイト・ブランシェットさん、お願いいたします。
[ブランシェット]
ありがとうございます。
私は偉大なるシュルレアリスト、レオノーラ・カリントンの仕事をしばしば思い起こします。そして彼女がかつて語った、ある言葉にも。
「語り得ぬものがある。だからこそ、芸術がある」
わたしは、言葉に手を焼いてきました。どれほど厳選された音節であろうとも、それは裏切り、誤り伝え、いたずらな区別を生み、あるいは届かないことがある。言葉はあまりにしばしば、わたしたちが心の底で感じているもののはるか手前に佇んでいます。にもかかわらず、わたしはいま、皆さんに向かって話しかけています。
俳優というのは、言葉そのものを生きる仕事です。そこで言葉が迷えば、字義どおりの泥沼へと沈み、言葉が冴えれば、人は声を失うほどに打たれる——そういう営みなのです。
他人の言葉を自分のものとする。それは、まことに曲折に富んだ神経言語学的な過程です。まず、その言葉を自分の腑に落とすことから始まり、やがてそれを解釈し、観客の胸に深く響かせることで、初めて完了する。
おそらくそれゆえに、わたしは常に意味を探し求めてきました。言われたことと言われなかったことのあいだ、行間に宿る好機を。人が言おうとしていること、言えばよかったと思うこと、そして口にしなければよかったと願うことのなかに。
わたしたちは時に、言葉を取り消し、書き直し、消し去ろうと、生涯を費やすことがあります。歴史に、そして人々に対して、わたしたちがしばしばそうしてきたように。わたしたちは、自らの内にある状態をほとんど理解しないまま、無意識に、言葉を発しては行動します。
自己認識も、文脈への感受性も、言葉がもたらす結果への自覚も乏しいままに。そして往々にして、それが最もはっきりと現れるのは、わたしたちが最も雄弁に語っているときなのです。
ですからテクストに向き合うとき、わたしは、言葉が人と、そのまわりの空間に及ぼす影響を探します。言葉が空転するとき、的中するとき、包囲を敷くとき——何が起こるのか。そして、わたしたちが生きているこの時代を顧みて、わたしは、語られた言葉に固く耳を閉ざし続ける人々と、そうした対話を締め出す空間に、注意を向けています。なぜ、と。わたしは問い続けています。なぜ、と。
自分が完全に伝わるであろうという確信は、わたしにはありません。その疑いは、常にわたしとともにあります。そして、ひとりの女として、その疑いはしばしば「自信のなさ」と読まれてしまう。そうではありません。
その疑いこそ、わたしの芸術の出発点なのです。疑いが、わたしに聞かせ、見させ、感じさせてくれる。疑いを一掃しようとする試み——そのすぐ後ろを、疑いとともに創り出そうとする衝動こそが、わたしを行動へと押し上げます。
無思考の確信に蝕まれた、この不確かな世界にあって、疑いは創造に不可欠である、とわたしは信じています。疑いこそが、挑戦と問いと探究を呼び起こし、対話を、繋がりを、そして変化を可能にするのです。
それは、これなのか。あれなのか。その両方か。あるいは、どちらでもないのか。それは重要なのか。そもそも、わたしはこれを為すべきなのか。疑いこそが、こう言わせてくれるのです。「このテクストを、この着想を、この願いを、この企てを、わたしは完全には理解できないかもしれない。だからとて、いったい何を失うというのか」と。
疑いは、わたしに、共同の作り手たちを固く抱きしめさせてくれます。そして、最初の——いわば最良と考えられた——着想は、軽やかに手放させてくれる。その着想が育ち、進化することを許すために。わたしの疑いは、心を開いた、よく考え抜かれた冒険へと向かわせてくれます。
けれども時とともに、いわゆる「キャリア」が形を成してくると、疑いに向き合いながら冒険を続けるには、勇気が要ります。厳格さが要ります。そして本日、この栄誉を、探求し、冒険し、また冒険する——世界でもっとも厳格で、もっとも勇敢で、記念碑的ですらある芸術家たちと分かち合えるということが、まさに、わたしを言葉なき者にしています。言葉が、わたしのもとを去ってゆくのです。
明日の朝、目覚めれば、この瞬間はかき消えて、もっと豊かな何か、もっと深い何か、もっと真実な何かを語ればよかった、と思うでしょう。
けれども、ひとつだけ、確かに知り、言うことができ、何度でも繰り返し言うことができることがあります。
この栄誉を授けられたことを、わたしは深い、深い感謝とともに受け止めている、ということです。それは、触れることさえ想い描かなかった、ある種のオリンポス。美しく、魂を高揚させる驚きであり、深い栄誉にほかなりません。
日本芸術協会に、敬愛する選考委員会の皆様に、受賞者の仲間たちに、そしてもちろん、日本に。感謝いたします。ありがとうございます。
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異国でのスピーチでこれらの言葉を選ぶ感性と、我々への信頼の素晴らしさ…『他人の言葉を自分のものとする』という一節が特に響きました。
偽りのない感情で発した日常の言葉でさえ誤解されるのに、他人として発する言葉を自分の感情の中で処理し、届けることの難しさ…改めて正気の沙汰では無い笑
#AI時代だからこそ触れておきたいことば
俳優 #ケイト・ブランシェット (Cate Blanchett)、
昨日の #日本芸術協会 でのスピーチ:
疑うことが創造の起点
[司会] ありがとうございました。続きまして、演劇・映像部門のケイト・ブランシェットさん、お願いいたします。
[ブランシェット]
ありがとうございます。
私は偉大なるシュルレアリスト、レオノーラ・カリントンの仕事をしばしば思い起こします。そして彼女がかつて語った、ある言葉にも。
「語り得ぬものがある。だからこそ、芸術がある」
わたしは、言葉に手を焼いてきました。どれほど厳選された音節であろうとも、それは裏切り、誤り伝え、いたずらな区別を生み、あるいは届かないことがある。言葉はあまりにしばしば、わたしたちが心の底で感じているもののはるか手前に佇んでいます。にもかかわらず、わたしはいま、皆さんに向かって話しかけています。
俳優というのは、言葉そのものを生きる仕事です。そこで言葉が迷えば、字義どおりの泥沼へと沈み、言葉が冴えれば、人は声を失うほどに打たれる——そういう営みなのです。
他人の言葉を自分のものとする。それは、まことに曲折に富んだ神経言語学的な過程です。まず、その言葉を自分の腑に落とすことから始まり、やがてそれを解釈し、観客の胸に深く響かせることで、初めて完了する。
おそらくそれゆえに、わたしは常に意味を探し求めてきました。言われたことと言われなかったことのあいだ、行間に宿る好機を。人が言おうとしていること、言えばよかったと思うこと、そして口にしなければよかったと願うことのなかに。
わたしたちは時に、言葉を取り消し、書き直し、消し去ろうと、生涯を費やすことがあります。歴史に、そして人々に対して、わたしたちがしばしばそうしてきたように。わたしたちは、自らの内にある状態をほとんど理解しないまま、無意識に、言葉を発しては行動します。
自己認識も、文脈への感受性も、言葉がもたらす結果への自覚も乏しいままに。そして往々にして、それが最もはっきりと現れるのは、わたしたちが最も雄弁に語っているときなのです。
ですからテクストに向き合うとき、わたしは、言葉が人と、そのまわりの空間に及ぼす影響を探します。言葉が空転するとき、的中するとき、包囲を敷くとき——何が起こるのか。そして、わたしたちが生きているこの時代を顧みて、わたしは、語られた言葉に固く耳を閉ざし続ける人々と、そうした対話を締め出す空間に、注意を向けています。なぜ、と。わたしは問い続けています。なぜ、と。
自分が完全に伝わるであろうという確信は、わたしにはありません。その疑いは、常にわたしとともにあります。そして、ひとりの女として、その疑いはしばしば「自信のなさ」と読まれてしまう。そうではありません。
その疑いこそ、わたしの芸術の出発点なのです。疑いが、わたしに聞かせ、見させ、感じさせてくれる。疑いを一掃しようとする試み——そのすぐ後ろを、疑いとともに創り出そうとする衝動こそが、わたしを行動へと押し上げます。
無思考の確信に蝕まれた、この不確かな世界にあって、疑いは創造に不可欠である、とわたしは信じています。疑いこそが、挑戦と問いと探究を呼び起こし、対話を、繋がりを、そして変化を可能にするのです。
それは、これなのか。あれなのか。その両方か。あるいは、どちらでもないのか。それは重要なのか。そもそも、わたしはこれを為すべきなのか。疑いこそが、こう言わせてくれるのです。「このテクストを、この着想を、この願いを、この企てを、わたしは完全には理解できないかもしれない。だからとて、いったい何を失うというのか」と。
疑いは、わたしに、共同の作り手たちを固く抱きしめさせてくれます。そして、最初の——いわば最良と考えられた——着想は、軽やかに手放させてくれる。その着想が育ち、進化することを許すために。わたしの疑いは、心を開いた、よく考え抜かれた冒険へと向かわせてくれます。
けれども時とともに、いわゆる「キャリア」が形を成してくると、疑いに向き合いながら冒険を続けるには、勇気が要ります。厳格さが要ります。そして本日、この栄誉を、探求し、冒険し、また冒険する——世界でもっとも厳格で、もっとも勇敢で、記念碑的ですらある芸術家たちと分かち合えるということが、まさに、わたしを言葉なき者にしています。言葉が、わたしのもとを去ってゆくのです。
明日の朝、目覚めれば、この瞬間はかき消えて、もっと豊かな何か、もっと深い何か、もっと真実な何かを語ればよかった、と思うでしょう。
けれども、ひとつだけ、確かに知り、言うことができ、何度でも繰り返し言うことができることがあります。
この栄誉を授けられたことを、わたしは深い、深い感謝とともに受け止めている、ということです。それは、触れることさえ想い描かなかった、ある種のオリンポス。美しく、魂を高揚させる驚きであり、深い栄誉にほかなりません。
日本芸術協会に、敬愛する選考委員会の皆様に、受賞者の仲間たちに、そしてもちろん、日本に。感謝いたします。ありがとうございます。
【渋谷駅前「ハチ公像」 シートで覆われる】
混雑が予想されるあすのハロウィーンを前に、東京・渋谷区は30日、シンボルの「ハチ公像」の周辺への立ち入りを制限するため、シートで覆う作業を行いました。
news.web.nhk/newsweb/na/nd-2…
#nhk_video








































